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新聞の発祥地 その1 [読書放浪]

新聞町は今は有楽町に移ったが、もとは銀座が優勢な新聞社の淵藪であった。少くも京橋区内に旗揚げしなければ社運の大をなし難い感が新聞創業者に共通していたらしい。

「日新真実誌」が明治四年つい近頃区整で破壊された尾張町の山崎洋服店の所に新聞社の礎石を置いたのが初めてでその後が曙新聞となり、これも今は取り払われた元の服部時計店の角が朝野新聞、ライオンの所が毎日新聞、曙の隣が絵入朝野新聞で各々銀座の要害に立っていた。

読売が京橋の一角の第百の支店のある所、日々が銀座の中心のマツダランプの売店やタイガーのある所に盤踞していたのはつい先日のことだから誰も知っていよう。大通りではないが時事が南鍋町に、朝日が滝山町に在ったのはまだ記憶があまり新しい。

国民だけが蕉地とあまり遠からぬ加賀町に移転しただけで、その他はみな有楽町あるいは有楽橋付近に集まってしまった。が、その頃は銀座が新聞の中心地であった。

その頃の新聞は事件の報道よりは言論の機関で、実際新聞に干興したものは言論界の雄たるもののみならず、政治界の重鎮でもあったから、全ての政治的、社会的、思想的の諸運動が銀座を中心とする新聞社の編集局から捲起されたということは決して過言ではない。



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