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円太郎馬車と鉄道馬車 その1 [読書放浪]

清新軒へ行った帰り、ちょうど鉄道馬車が開通そこそこで、わざわざ鉄道馬車を見物に来るものさえったのだから、私も銀座へ出て尾張町から京橋まで乗ってみた。馬がレイルの上へ車を牽いて走るというなんでもないことが珍しがられたというは、今聞くと馬鹿らしくて信じられないが、その頃は真実珍しがられたのだ。

昔は近江の竹生嶋の住民が一生の憶出に大津の街へ行って馬を見て来べえと言ったという一つ咄があるが、まだ京濱の鉄道を見ないものもあった時代、馬車が記者と同じにレイルを走るというは第三次でないまでも見物であったに違いないので、私のごときも多少の好奇心を以って試乗した。

乗ってみれば格別の奇も無いがまだ出来立てのホヤホヤであるから、今までのガタ馬車と違って綺麗で、クッションも新しくフカフカして乗り心地が心地よかった。


鉄道馬車が布かれるまでの市内の交通機関は明治そこそこに文明開化の先駆けをした千里軒系統の乗合馬車であった。千里軒系統の乗合と言って今の若い人には貞秀の錦絵でも見なければわかるまいが、粗造な原始的の馬車である。

今では僻遠の山里でもめったに見られまいが、このがたくリバ者が背骨の現れて皮膚のすりむけた老馬をビシビシと引っ叩きつつブウブウ吹いて帝都の中央を走っていた。この痩せさらぼいた老馬が喘ぎ喘ぎ鼻から息を吹き、脂汗を垂らしてガタクリ走っていたのがお婆さん危ないよと今の自動車よりも怖がられていた。

落語家の円太郎がこのガタ馬車の真似をしたのが人気になって、乗合のボロ馬車を円太郎と呼び、今日の自動車のバスまでが円太郎と称される。


コレについて先ごろもある新聞が、乗合を円太郎と称する語源を説明して、落語家の円太郎が高座でガタ馬車の真似をしてからだというと、いや乗合馬車の方が円太郎の真似をしたのだと通ぶった明治研究科があった、ついこないだのことがこうも分からなくなるものかと本末転倒を笑止に思った。

話は少し横道に入るが、銀座の真ん中を走った電車以前の交通史のエピソードとして円太郎のことを少し加えよう。




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