SSブログ

ショッピングスポーツマンの狩場 [読書放浪]

西側は食味の街であるが、東側はどちらかとういうと買物街である。銀座の王者のごとく全街を威圧している松屋と松坂屋のあるは東側である。これから建築される銀座会館の敷地も山崎洋服店とその地続きを三四軒潰した跡で、更に新しい鉅観を東側に加えるだろう。

日本の時計界を両分してほとんど使君と操とのみという如く相対峙する天賞堂も服部時計店も東側である。日本の楽器界の覇王たる浜松楽器会社の売店、鷲印レコードの発売元で、今はコロンビアとも併合した日本蓄音機会社も東側である。

モガの家庭の憧憬となっている洋風食器の十一屋、女学生がこれの文房装飾でなければ夜も日も明けないように吸い付く文房具の伊東屋も東側である。銀座には些と似合わしくないが東京一の大仏師として東洋癖の外国人間にも聞こえる安田松慶の店も、もとは日本橋の東中通にあったのが銀座の西側に進出した。

暖簾はまだ新しいが尾張町の二葉屋と四丁目の不二家とは高級洋物屋として頭角を抽んでて東京一の贄澤屋として称されている。二葉屋の大陸流行の雑貨、佛獨の小工芸品を集めた飾り窓はブルを感嘆させプロを興奮せしめる。

Hujiyaの屋号のローマ字綴りは駆け出しのローマ字論者を煙に巻いて商売ぶりの新しさを思わしめる。今は過去の憶出となったが、岸田の精綺水も岩谷の天狗煙草も東側である。


だが、西側もまた老舗の軒並びである。毎年のクリスマスデコレーションは銀ブラ人の足を留めずには措かない。銀座の名物の明治屋も亀屋も西側である。東側の天賞堂、服部と対峙する時計屋としては玉屋と山崎とがある。

玉屋は銀座の老舗の1つで明治十一年私が用器書法を習い始めた時、コンパス烏口を売る店は玉屋の他にはないというので鉄道馬車もない時代に下谷から銀座まで歩いて買いに行ったことがある。山崎が銀座へ進出したのは地震後であるが、貴金属としては古くから知られている。

メダルの縮刻機械を初めて日本へ取り寄せた家である。楽器屋の山野、十字屋が音楽普及に功績あるは上野の諸君に減ずるものではない。エルマンやハイフエッツの妙技を遍く認めさせて帝劇の十円の切符をも高しとしなかったのはニ店がベクトルのレコードを九州北海道に行き渡らせた力である。

毛糸の伊勢谷で何十年来売り込んだ三丁目の三枝は地震後卸部をよこまちに移してもっぱら主力を卸に注いでいるが、東京一の洋物直輸入商たる実力は小売部にも現れて、小売の店はあまり大きくないが品物は潤沢で且つ贅沢物屋として知られている。

教文館はアメリカ版専門の上に品物が少しミッション臭いが左も右くも洋書の輸入では丸善に次ぐ店である。丸八は江戸時代からの蕉家、銀ブラの仇には見過ごせない古い薬種店である。蚊取り線香ばかりで有名なのではない。

もとは三越から分離した呉服者の越後屋、贅沢屋の評判の高い田屋洋服屋、世界に名の通っている御木本真珠店、ナショナルの金銭登録器、黒澤のタイプライター、鳩居堂の筆墨硯文房品、東京に唯一軒だけのプレイガイド、大百貨店こそないが西側にもまた有名な店がある。


ショッピングもまた1つの享楽である。況や必需意外、あるいは必需以上の欲求を満たして優越感を味わい、あるいは価格に品質に以外の儲けものとしていわゆる買い物上手の誇りを感じた場合のショッピングは、ちょうど狩師が首尾よく獲物を仕留めた時と同じ会心の満足がある。

これからの歳暮に当たって、全身をステーションの赤帽然と買物包で満艦飾をして、勝ち誇った顔をして雑踏を縫って歩く紳士淑女を何人となく見受けるが、銀座はこういうショッピングスポーツマンにとっての好個の狩場である。且つ都会人通有の華美生活愉悦は買う買わないを第二の問題としても大商店の意見は生活の空想を豊かにする快楽がある。

マルクスボーイやガールが案外銀座の買物を得意になって彼らの仲間に誇っている。左傾も右傾も銀座をぶらつくと、やはりカフェのテーブルに向かってカクテルの微醸を味わい、ブル気分になって軒並みの窓飾りを冷やかし、いい気持ちになってタクシーを飛ばす。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。