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味覚極楽の銀座 その1 [読書放浪]

東京に生まれて東京に育った私はやはり街の子である。田舎道の気散じな散策も悪くはないが街のジャズや色彩により多く惹かれる。銀座に流れる空気をヨルダンの水のように難有がるわけではないが、月に一度や二度は銀座の空気に触れないと郊外の肥料臭い頭が洗われないような気がする。

自然銀座へ足の向くのは珍しくないが、東西を通じる前後二三丁ぶらついて、モダン人の常訪するカフェのテーブルにぼんやりと向かってぼんやりと耽るいわゆる廬山に入って廬山を知らざる銀座の不通人である。銀座見学のつもりの今日は昔の赤ゲットの道順通りに克明に新橋を渡って、東側は角が空き地になっていて不景気だから西側の博品館前に立ち止まった。

全体日本のモダンを代表する帝都の一等道路の一端を今の字引にない工場やビヤホールで振り出させるのはいささか時代錯誤の感がないでもないと、口のうちで呟きつつ只見ると博品館は博品館でも工場の元の姿はなくて今ではモダンのマーケットである。入り口で旅の廉売をしているのが、一等道路の第一印象としていささか皮肉であるが、大衆向きだから相応に繁盛している。

博品館のとアンリは銀座の老舗の一つの大徳である。大徳の店は明治十五六年頃、父に連れられて帽子を買ってもらったのでそのころから記憶している。

一筆書きの中折のマークが新聞の広告欄をにぎわすのも最う久しくなる。「帽子はタムラ」を凌ごうとしている。ファスチストの制帽と獨逸のスポーツマンの帽子を店頭に飾って元気のいい近代人を喜ばしているのは間口は狭いが商売は活きている。

三銀が土瓶蒸し焙烙蒸しの道具をところ狭きまで店頭に並べているのは松茸はなくとも食欲をそそる。青柳も明治十七八年、櫻田に下宿していた頃からのお馴染みでここの烏羽玉を十食えるか食えないかとその頃の下宿友達と賭けをしたことがあるが、今でもクラシカルな菓子で鳴っている。

千疋屋は水菓子では東京一でこの家のパーラでアレキサンドリアのムスカットを賞翫しなければ果実の味を談ずる資格はないので、メロンやパパイヤは月並だそうだ。


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