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新橋はもとは東京見物の振り出し [読書放浪]

以前は新橋がお上りさんの振り出し口であった。赤ゲットを背負った善男善女がカバンと相乗りで物珍しそうに四方をキョロキョロしながら送り出される開門であった。が、今では都人士の遊歩区域の唯の電車の乗降口であるから、ヨレヨレの色の褪せた時代物のインバーネスの無精髭をさらけ出すのはいささか気が引ける。が、駅を出ると正面はトンネル長屋とでも言いそうなバスのガレージで、骨組みができたばかりの板構えや半分破壊されたままの家出前後を取り囲まれている。

掘り返された泥がもぐらの土のように盛り上げられ、バラストやセメント樽や煉瓦の古板が道を塞げている。芝口の本通りは片側は大抵取り払われ取り残された家が跡を残している。路面は電車線の敷石道の外は削られ、蒲鉾形になってる両側が中央から五六寸も低くなっているから、端を掛かる欄干へ沿った歩道は、一段高くなってうんとこどっこいしょと一段登らなければならない。

駅から橋上まで一丁半かそこらだが、やあっとこさと難路を突破してヤレヤレと一息つくと、もとは博品館と新橋ビヤホールとで銀座の入り口の両角を華やかにしていたのだが、區整困難はこれをも脅かしていると見え、空き地となっている。隣屋の電友社、宇都宮回漕店で地震の名残をとどめている。

銀座は表側は區整を免れているらしいが、東西を通じる横町の隅々は多少ずつ破壊されている。尾張町の十字大道は両側共に広げられるので、ライオンと対角する山崎洋服店が矯正の鶴嘴を揮われて砂塵を揚げ、銀座を行楽するテイッターパッターの肝を冷やしたのはつい数日前のことである。

南角のライオンは既に取り払われているので、ヤマザキと隣する蓬莱、木村屋等はとっくに立ち退き、その後が銀座会館の建築敷地として板構えとなっている。銀座の本建築が揃って竣功し、近代都市の体面を具備するまでにまはまだ少なくとも六七年かかる。

それからでなくては観光団のお座なりお世辞をも受けることは出来ない。だが、銀座があまり欧化しすぎると、アジア臭すぎる我々時代錯誤衆は義理にも遠慮しなければならなくなる。

西條八十銀座行進曲を口笛吹きながら行く刺繍ズボンや、スクリーンから抜けだしたような極彩色のフラッパースの踵から尾いて、失業者然たる不景気面をキョロキョロさしても、巡査に叱られないで軒並みを覗いて行かれるのは今の中だ。


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