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小さな無名の俳人の死 [読書放浪]

青木月斗の門人のある会社員が小さな子供を二人殺して夫婦心中をした。盛粧さした二人の子供の意外を横臥さした枕元には枕屏風を逆さにして水を手向け先行を立てて回向したらしく、夫婦も盛粧して、若い妻女は美しく化粧して相対して縊れていた。

ことさらに用意周到なのは子供の以外はもちろん、夫婦自身もまた鼻口その他にガーゼを詰めて汚物の漏れない手富をしていた。家什はキレイに整理して清掃してあった。遺書は頗る簡単で、夫妻の辞世の俳句が連ねてあったが、その外に差配へ宛てて日常買い物の勘定残りが細かに書き付けてあった。

近頃このくらい沈着いた自殺はないので、錯乱の痕跡を少しも留めなかった。且つその原因が何であるかも不明で、会社の同僚や郷里の家族が瑞摩した原因が皆いずれも極めて薄弱で、自殺しなければならぬほど切迫した事情があろうとは考えられない。

左に右く職務上何等の過怠がない人格者で合ったのは重役も学って惜しんで社葬とした一事でも知られる。辞世の句を見ても夫妻ともに従容として死に赴いたは明らかで、平素の悠揚迫らざる襟度が決してただの会社員でなかったのが想像された。

だが、一会社員たる小さな俳人の自殺は問題とならないが、芥川が冷静な遺書を残して従容として死に就いたのが賛美すべきであるなら、芥川以上の沈着を以って芥川以上の悲惨なる一家四人の死を決行したこの小さな俳人を芥川以上に賛美しなければならない。

然るに一方は人気ある流行作家であるため殉教者の如く哀悼されて一斉に慶弔されたが、一方は小さな無名の俳人であるために単なる市井雑事として扱われてほとんど問題とされなかった。従容たる死が平素の人格の反映であるのは必ずしも認めるに吝かではないが、死はその動機によって軽重されるので、死の方法によって値踏みされるのではない。

如何に従容たる死でも動機の不明なる自殺は「七十ニ文命の安売」である。小さな無名の俳人の市なら命の安売も同情できるが、智慮あり学殖ある芥川としては自重の足らなかったのを惜しむの念に堪えない。




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