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お大明のごとく死んだ徳富蘆花 その3 [読書放浪]

人気は一種の催眠薬で1つ作が当たって、人気が沸くとあとは平押に人気の力でトントン拍子に当たる。且つ自然に人気のコツを覚えるものだ。「寄生木」や「黒い目と茶色の目」やその他の諸著が出る度ごとに必ず読者社会を動揺しないことはないのは無論蘆花の作法がだんだん老熟してますます巧を加えるからであるが、その成功の1半はやはり最初の「ほととぎす」の人気の力である。

「自然と人生」は蘆花の本領で、おそらく蘆花作中の第一に託すべきものであるから嘖々されるは不思議でないようであるが、本来感想や随筆の読者は小説に比べて少ないのが普通であるに、蘆花の感想随筆に限って小説同様に広く読まれ、小説以外に書籍を繙くことがない婦女子にまでも愛誦されるというは全く人気の余波である。

「みみずのたはこと」に至って蘆花の人気は頂点に達し、それこそ馬追うしもべ、犬打つ童にまでも署名を諳んぜられるというは古今に例がないので、絶無でないまでも極めて稀にある精巧であろう。

蘆花の偉いのはその作物より作に対する態度であった。常時文学は既に相応に理解され、文人の位置はかなり重んぜられていたようでも、まだ一般は小説を劇作視した見方から冷め切らないで、小説家は兎角に冷たい目で見られていた。

自然、文壇という小さな仲間の外に世界があるのを知らないで、得々として小説家を鼻の先にぶら下げる劇作の末裔者流を覗いて、苟も多少の気概あるものは文学の権威を認めても小説家たるを躊躇したものだ。文学の氏名や外国における文人の位置を知るものも、少くも日本では「文学は果たして男子一生の仕事とするに足るやいなや」を疑わざるを得なかったのは、二葉亭一人ではなかったのである。

この中にあって蘆花は誰一人手を携えて行く道連れもなく、一方に劇作の後塵を追う人達を睥睨しつつ「われは小説家樽を恥とせず」と堂々宣言したのは誠に溜飲三斗を下げる心地がした。腹臓なく言うと私は蘆花の作に少しも推服しない一人である。真の孤立の倨傲をも慊らなく思ってる一人である。

が、この「我は小説家たるを恥とせず」の意気の衰えない限りはいつかは日本の小説の水平線を高める対策が現れることを期待していた。ともかくも強弩の末力に等しい作を発表しつつも蹲踞していたのは、この意気の壮んなるものがあったからだ。

兄蘇峰翁が量積を持ってしても、天下の副将軍が数十人の学者を集めて竣成した「大日本史」を瞠若せしむる大歴史を位置個人の力でこつこつ完成しつつある時、弟蘆花が前代稀なる人気を追いつつ、前途の大貢献を約束しながら喬木の倒れる如くに忽然として世を去ったのは誠に惜しむべき痛恨事で合った。

だがお大名のごとく死んだ蘆花の最後は尋常人気坂としては最後の頁を飾るに足るが、日本のトルストイと称される人道主義者の終焉としては最少し淋しかったほうが却って崇高であった。


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